令和元年 おめでとう!   


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 とうとう、令和元年になってしまいましたよ~。

 昭和、平成、令和・・・私も三代をまたぐことになりました。笑
令和って名、個人的に言うと、気に入らないです。(すみません。)どうせなら、礼儀の礼で、”礼和”がいいんじゃないかな~、と思うわけですよ。令なんて、命令の令だから、自由のない硬直感があって、もしかしたら、朝鮮半島や中国大陸に、命令されて小さくなっちゃう日本にならないといいけどな~、なんて、思っちゃうわけです。周りの国同士、礼儀をもって、愛をもって行こう! やっぱり、礼なんじゃないかって・・・

名前って大切ですよ。不思議なことに、名前ってつけると、なんとなくそのようになっちゃうようなことって感じたことありませんか? 私の名前も自分の性格や人生と、どこかリンクしているような気がしますし、家族のみんな、どこかしらそんな感じがあります。

まあ、つけてしまったからには、どうぞ、命令されて、大変なことになりませんように・・・と、願う私です。 まあ、出典は、万葉集のおめでたい言葉らしいので、笑われるかもしれないけれど。

 平成元年は、山口大学の口腔外科で迎えました。天皇陛下が一面の、平成の文字がどかんと踊る新聞をかかえて、医局の先生と記念写真を撮りました。それで、今回も、同じようにスタッフとみんなで写真を撮りました。あの平成の写真の私は若かったよな~・・・令和の記念撮影は、ずいぶん年とったものです。こんな年になるなんて・・・人の一生は駆け抜けるようなスピードなんですね。

 うちの患者さんで、昭和元年生まれのご婦人がおられます。素敵にお元気な彼女は、確か93歳。彼女は、戦争をリアルに知る世代です。空襲でやられた、死臭のする街を逃げまどった経験を持っているのです。でも、彼女のような生き証人は、やがて一人もいなくなる時がきます。人類の歴史を見ると、自分の社会からすべての戦争体験者がいなくなった時から、どうも黒いタイマーは動き出していくようです。どうしても人間は、過ちを繰り返す。

 平成生まれが社会の中枢を担い始め、令和の若者が闊歩するころ、日本はどうなっているのでしょうか。屈託のない平成生まれの若いスタッフの笑顔を見ながら、人間の光と影を思います。どうぞ、光がさんさんと日本を照らしますように。人生が進むごとに、人は心配性になるのかも。人間は捨てたものではない。せめて、そう信じることにしましょう!

# by urakawasika | 2019-05-07 00:36 | 社会 | Comments(0)

中学生ショック   

  子供が、小学校、中学高校と育っていくと、自分が通った道をまたもう一度検証するような気持ちがします。小学校は、のんびりしています。中学受験をするお子さんは別として、授業をしっかり聞いて、宿題をやっておけば、なんとかなっていくような感じです。でも、中学になると同時に、いきなり何段階も上がります。一気に英語をはじめ、課題がふくらんで、突然ノルマが増えます。

期末テストは実技教科まで9教科いっきにつめこまなければなりません。
それにお決まりの、ハードなクラブなどもセットになっていて、生活のリズムもつかみきれず、どうやって、時間をやりくりしていったらいいのか、途方に暮れる子が続出です。

 クラブをやりながら宿題をやって、しかも予習なんてことになれば、おのずと、睡眠時間は削られ、中学ブラック企業と呼びたくなるような子供たちの生活。
先生方は、小学校とのギャップを中学生ショックと呼ぶのだそうです。

 勉強が苦手なわが子の勉強を見てやってみて、初めて知った恐ろしいほどのギャップ! これを見事にクリアして、上位成績で悠々とすごしている中学生もいるだろうけど、まあ、普通のお子さんなら、たぶん、四苦八苦するのではないかと思います。

 ところで、わが子の学校の成績表を見たら、数学30点以下が、全体の20パーセント以上いたのでびっくりしました。でも、うなずける。中学生ショックをのりこえられず、ちょっとしたつまづきをどうしていいかわからずに、放置してしまったら、あっというまに落ちこぼれてしまうのは、当然だと思ってしまいます。

 うらかわ歯科に来る、来年中学生になるお子さんに、ついついアドバイスしたくなるさち先生です。勉強はお子さん任せにしないで、要領を得るまでは、かかわってあげたほうがいいよ~、とお母さんに言い。お子さんには、「クラブは、しばらく入らずに、学校のリズムをつかんでから入るのもいいんじゃない。」なんて言う。中学生ショックを乗り越えて、本来の自分の力を出してほしいな~と思います。

 でも、考えると、お手伝いをしたり、さまざまな生活のことをきちんと教えたりするのは、ほんとに小学生の時しかできそうにないな~と思ってしまいます。なんせ、中学になれば、ブラック企業並みの忙しさ、しかも、反抗期。しかもしかも、親も働いていたりなんかして、アイロンかけ一つ教えることができず成人してしまう。いや、我が家は、そうなっている!

 でも、もっともっと、丁寧に暮らす、ということを、どこかで子供に教えたいよな~、と思っている私です。衣食住、どれも、おざなりにしていると、やっぱり、地に足がついた考え方って、できなくなるんじゃないかな~と思うのです。中学卒業したら、同じような路線で高校、となれば、またそれも絶望的。日本の高校は、もっと生活が学べるところがあってもいいんじゃないかな~・・・と思うようになりました。
 
 むつかしい高校の勉強はちょっと減らして、料理教えたり、DIYしたり、庭仕事教えたり、掃除のノウハウをしっかり教えてくれたり・・・・一生のうち、そういうことをしっかり学ぶ時代が、若い時代のどこかにあるといいのにな~と思う私です。なんせ、私も、スルーしてしまった口なので・・・そしたら、人生はさらに豊かになりそうな気がしてます。


# by urakawasika | 2019-03-27 04:34 | 社会 | Comments(0)

最初の患者さん・・・春近し!   

 開業して20年以上がたちます。
先日Aさんという中国人の患者さんが来られました。大きなお子さんを連れて、懐かしそうに言われます。
「先生、私をおぼえていますか?私は、先生の一番初めの患者です!」
お~~・・・そうだった。
当時のことをありありと思い出します。うらかわ歯科を開業したものの、初日は、患者さんはだれも来ませんでした。今どきは、開業に際して内覧会などを行うようですが、うらかわ歯科がオープンした時は、そんな知恵もなく、ひっそりとオープンして、身内の患者も、初日は来れなくて、すっかり出鼻をくじかれていました。歯で困っている多くの人の助けになりたい、と、志は立てたものの、患者さんが来てくれなかったオープン初日
 オープニングスタッフに慰められながら、翌日になり、有線の音楽だけが、やたら響く診療室で、身内患者の母が治療に来るので、それをたよりに待っていたら、玄関が開いて、見知らぬ家族が入ってこられました。
そうです。それがAさんでした。小学生の男の子を連れて、さらさらのロングヘアーに、優しい微笑みを浮かべ、片言の日本語で、問診に答えたAさんは、中国から、ご主人のお仕事で福岡に来てまもないようでした。ご主人に通訳されながら、問診に答えてくださいました。

 今となっては、おぼろげな記憶の中に、彼女の素敵な笑顔だけが、印象的に浮かんできます。

「まあ!Aさん。覚えてますとも!」
再会した時に、いっしょに来ていた、高校生くらいのお子さんは、かつてはまだいなかった、下のお子さんだそうです。Aさんの日本語は、もうばりばりになっていて、ちょっと、貫禄もついていました。
あれから、福岡を離れ、20年近くたって、また福岡にもどってこられたのだとか。

福岡市の歯医者さん うらかわ歯科

決してうらかわ歯科の近くに住んでいるわけではないのに、わざわざ、覚えてくださって、来てくださったなんて、歯医者冥利につきるというものです。

ご主人も、日本と中国をまたにかけ、大活躍のご様子。それもなんだか、うれしい。
人は、あるとき出会って、人生が次のステップに進んだら、それぞれまた、離れていく。うらかわ歯科は、ずっと同じところにあって、ある時、止まり木のようにとどまって、また、飛び立っていく。

まあ、歯の治療をするところですから、そんなに大袈裟なことではない、と思うかもしれませんが、止まり木のように、動かない方からすると、感慨深い。

「先生もちっともかわらない・・」
Aさんは、そう言ってくれましたが、ずいぶん、お互いかわっているんでしょうね~。人と接する仕事は、時に、大変なこともあるけれど、こういう瞬間は、ほんとにほのぼのします。

私も、あれから、ずいぶん年をとったものだな~と思います。春はそこまで、また新しい出会いと別れが、めぐります。

福岡市の歯医者 うらかわ歯科


# by urakawasika | 2019-02-25 16:21 | うらかわ歯科エピソード | Comments(0)

2019年 平成が終わりました~   

あけましておめでとうございます。


 とうとう、平成は終わりましたね。昭和が終わった時のことを思い出します。昭和が終わる年の暮れ、昭和天皇の様態が悪くなって、日本中がその動向を見つめつつ、新年を迎えました。確かお正月番組も自粛していました。そして、新年になって、何日か経ち、ついに昭和天皇が崩御なさいました。昭和が終わった。・・・・若い私も、なんとなく、動揺していました。未知なる世界に飛び出す不安感だったのでしょうか。

 今となっては、あまり思い出せませんが、それと前後するように、昭和の歌姫、美空ひばりさんが亡くなりました。大学病院に勤めていた私は、年配の看護婦さん(その頃は、まだそう呼んでいました。)が、その朝、「美空ひばりが亡くなった!。」と、泣かんばかりの迫力で叫んでいたのを覚えています。
 
それから、しばらくは、激動の昭和を検証する番組がたくさん流されていました。

 今年は、それと対比するように、平成を検証する番組が流れます。平成も30年を経たので、昭和を知らない世代が、時代の中心になりつつあります
「平成を検証する、というと、みなさん、昭和のつけを、平成がどうつけたか、という話に終始するようですが、僕は、平成生まれなので、そういう言い方は、ちょっと違和感があります。」

 そういうことを、若いコメンテーターが言っていました。なるほどな~・・・平成生まれの息子も、私が鼻歌を歌っていると、

「ねえ、それ”ショウワ”の歌?」
なんて、無味乾燥のイントネーションで聞いてきます。”昭和” と言え!、私はむっとします。でも、彼にとっては、私が明治時代を思うようなもので、大隈重信が闊歩している時代を自分の時代と思えないのと同じことなんでしょう。

 さて、平成が終わった今年、どんな年になるのでしょう。年末に届いた出先不明の請求書には、会社名だけで、電話番号さえ書いてありませんでした。しかたないのでネットで調べたら、その会社は、取引のある会社が、集金業務を委託した会社だとわかりました。やれやれ、今時は、クレームや、問い合わせに人手を使いたくないので、電話番号さえ書かないというのが当たり前のように通る時代なのでしょうかね~。

 企業の信用とか、誠実とか、そういうのはコストがかかる。ならば、コストのかからないことを追求しよう。責任取らず、もうけは取ろう! 平成30年をかけて、そちらに舵取りしてきたように感じるのは、昭和世代だからでしょうか。なんかこのごろ憮然とすることだらけ。

 でもね、もう少しいけば、たぶん、捨てていく物を、もう一度拾うのが、今最も新しい、ということになる、と思うよ~。人間の本質はかわらないものだから。

# by urakawasika | 2019-01-07 12:36 | 社会 | Comments(0)