最初の患者さん・・・春近し!   

 開業して20年以上がたちます。
先日Aさんという中国人の患者さんが来られました。大きなお子さんを連れて、懐かしそうに言われます。
「先生、私をおぼえていますか?私は、先生の一番初めの患者です!」
お~~・・・そうだった。
当時のことをありありと思い出します。うらかわ歯科を開業したものの、初日は、患者さんはだれも来ませんでした。今どきは、開業に際して内覧会などを行うようですが、うらかわ歯科がオープンした時は、そんな知恵もなく、ひっそりとオープンして、身内の患者も、初日は来れなくて、すっかり出鼻をくじかれていました。歯で困っている多くの人の助けになりたい、と、志は立てたものの、患者さんが来てくれなかったオープン初日
 オープニングスタッフに慰められながら、翌日になり、有線の音楽だけが、やたら響く診療室で、身内患者の母が治療に来るので、それをたよりに待っていたら、玄関が開いて、見知らぬ家族が入ってこられました。
そうです。それがAさんでした。小学生の男の子を連れて、さらさらのロングヘアーに、優しい微笑みを浮かべ、片言の日本語で、問診に答えたAさんは、中国から、ご主人のお仕事で福岡に来てまもないようでした。ご主人に通訳されながら、問診に答えてくださいました。

 今となっては、おぼろげな記憶の中に、彼女の素敵な笑顔だけが、印象的に浮かんできます。

「まあ!Aさん。覚えてますとも!」
再会した時に、いっしょに来ていた、高校生くらいのお子さんは、かつてはまだいなかった、下のお子さんだそうです。Aさんの日本語は、もうばりばりになっていて、ちょっと、貫禄もついていました。
あれから、福岡を離れ、20年近くたって、また福岡にもどってこられたのだとか。

福岡市の歯医者さん うらかわ歯科

決してうらかわ歯科の近くに住んでいるわけではないのに、わざわざ、覚えてくださって、来てくださったなんて、歯医者冥利につきるというものです。

ご主人も、日本と中国をまたにかけ、大活躍のご様子。それもなんだか、うれしい。
人は、あるとき出会って、人生が次のステップに進んだら、それぞれまた、離れていく。うらかわ歯科は、ずっと同じところにあって、ある時、止まり木のようにとどまって、また、飛び立っていく。

まあ、歯の治療をするところですから、そんなに大袈裟なことではない、と思うかもしれませんが、止まり木のように、動かない方からすると、感慨深い。

「先生もちっともかわらない・・」
Aさんは、そう言ってくれましたが、ずいぶん、お互いかわっているんでしょうね~。人と接する仕事は、時に、大変なこともあるけれど、こういう瞬間は、ほんとにほのぼのします。

私も、あれから、ずいぶん年をとったものだな~と思います。春はそこまで、また新しい出会いと別れが、めぐります。

福岡市の歯医者 うらかわ歯科


# by urakawasika | 2019-02-25 16:21 | うらかわ歯科エピソード | Comments(0)

2019年 平成が終わりました~   

あけましておめでとうございます。


 とうとう、平成は終わりましたね。昭和が終わった時のことを思い出します。昭和が終わる年の暮れ、昭和天皇の様態が悪くなって、日本中がその動向を見つめつつ、新年を迎えました。確かお正月番組も自粛していました。そして、新年になって、何日か経ち、ついに昭和天皇が崩御なさいました。昭和が終わった。・・・・若い私も、なんとなく、動揺していました。未知なる世界に飛び出す不安感だったのでしょうか。

 今となっては、あまり思い出せませんが、それと前後するように、昭和の歌姫、美空ひばりさんが亡くなりました。大学病院に勤めていた私は、年配の看護婦さん(その頃は、まだそう呼んでいました。)が、その朝、「美空ひばりが亡くなった!。」と、泣かんばかりの迫力で叫んでいたのを覚えています。
 
それから、しばらくは、激動の昭和を検証する番組がたくさん流されていました。

 今年は、それと対比するように、平成を検証する番組が流れます。平成も30年を経たので、昭和を知らない世代が、時代の中心になりつつあります
「平成を検証する、というと、みなさん、昭和のつけを、平成がどうつけたか、という話に終始するようですが、僕は、平成生まれなので、そういう言い方は、ちょっと違和感があります。」

 そういうことを、若いコメンテーターが言っていました。なるほどな~・・・平成生まれの息子も、私が鼻歌を歌っていると、

「ねえ、それ”ショウワ”の歌?」
なんて、無味乾燥のイントネーションで聞いてきます。”昭和” と言え!、私はむっとします。でも、彼にとっては、私が明治時代を思うようなもので、大隈重信が闊歩している時代を自分の時代と思えないのと同じことなんでしょう。

 さて、平成が終わった今年、どんな年になるのでしょう。年末に届いた出先不明の請求書には、会社名だけで、電話番号さえ書いてありませんでした。しかたないのでネットで調べたら、その会社は、取引のある会社が、集金業務を委託した会社だとわかりました。やれやれ、今時は、クレームや、問い合わせに人手を使いたくないので、電話番号さえ書かないというのが当たり前のように通る時代なのでしょうかね~。

 企業の信用とか、誠実とか、そういうのはコストがかかる。ならば、コストのかからないことを追求しよう。責任取らず、もうけは取ろう! 平成30年をかけて、そちらに舵取りしてきたように感じるのは、昭和世代だからでしょうか。なんかこのごろ憮然とすることだらけ。

 でもね、もう少しいけば、たぶん、捨てていく物を、もう一度拾うのが、今最も新しい、ということになる、と思うよ~。人間の本質はかわらないものだから。

# by urakawasika | 2019-01-07 12:36 | 社会 | Comments(0)

旅の出会いは色々   

 飛行機で、母と親戚の家にでかけました。年老いた母は、意を決しての遠出。私も、飛行機を使うのは何年ぶりです。チケットをなくしたり、時間に遅れたりすることなく、ちゃんと着かなければ。ちょっと気負ってます。

 そんな気負いをよそに、この度は、色んな方の人情にふれる旅になりました。

のっけから、西新の地下鉄で、小さな西南小学校の生徒さんが近寄ってきました。
「おばちゃん、持ってあげる!」 
と言うが早いか、私の荷物を、階段上からホームまで下ろしてくれました。今時、そんなことを表だってできちゃう小学生がいるのね! 感動です。

羽田につくと、目的地までは果てしなく、山手線やらなんとか線、二つも乗り換えです。乗り換え駅では、ものすごい人の波。足の遅い母は、すぐに、人並みに押し出され、すみの方を、必死で私に着いてくる。まるで、大河を渡っているようです。
 なんとか、ホームまで来て、来た電車に飛び乗りました。でも、表示を見ると、目的の駅がないような。私たちは、あわてて降りました。すると、電車の中から、若い女性が降りてきて、
「この電車○○駅に行きますよ。」
と教えて下さいました。私たちが、騒動しているのを見て、親切に間違いを教えて下さったのです。

再度電車に乗ると、今度はその騒動を見て、隣にいた年配の方が声をかけてくださいました。
「どちらから、おいでになったのですか?」
それをきっかけに、目的地に着くまで、その見知らぬ方と、色んなことをおしゃべりさせていただいたのです。
それに、母を連れ立っていたので、何度も、乗り物の中で、席も譲っていただきました。ほんとに恐縮です。

良い旅でした。東京は大都会。みんな個人主義で、もっと殺伐としているのかと勝手に思いこんでいる田舎物です。旅の始まりの小学生から、電車の中の人々まで、思い出すたびに、心がほっかりなります。

さて、しかし、その中で、ほんとに、とても気分の悪い思いを一度だけしました。福岡の手荷物検査のところで、私は、もたもたしてしまったのです。悪気があってのことではなく、久しぶりの飛行機だったので、係官の指示する意味がよく伝わらなくて、彼の思いとは違う動きをしていたようです。係官の彼は、あからさまにいらいらした様子で、
「かごに荷物を入れる!」
と同じことを連呼します。そのとおりにしても、彼は、ますます連呼します。どうも、上着を次のかごに入れるとか入れないとか、微妙な違いを私が理解していないということのようでした。
(今だによくわかりません。)まるで、勉強のできない子に、先生が、強い口調で同じことを連呼するみたいな感じ。

ほんと感じ悪かったです。とても若い男性でした。飛行場なんて、非日常の空間です。旅が楽しくなるか、楽しくなくなるか、ちょっとした人とのかかわりで決まってくることだってあるのだけど、そんなこと考えたこともないのでしょう。彼は、一見単純作業に見える自分の仕事に無感情で臨んでいるのかも知れません。
もたもたして、混乱している乗客を見たら、ちょっと、言い方を変えるとか、わかりやすい言葉を言い添えてあげるとか、気持ちさえあれば、何かできるでしょう。

彼は、仕事へのこんな取り組み方を、この先ずっと続けていくのか、と、なんだか心配にさえなります。
他の親切な方々からの素敵な思いとは正反対の、とてもいやな感じ。

でも、ふりかえれば、自分も、毎日の仕事はついルーティンになって、多くの出会いをぶちこわしにしているかもしれませんよね~。気をつけましょう。
出会った人は何かの縁。やはり、大切にしたいものです。



# by urakawasika | 2018-11-22 16:26 | 我が家流 | Comments(0)

子どもたちの食、給食   

  先日、息子の中学校の給食室見学というのに行ってきました。息子の中学は、何年か前に給食が始まって、お弁当から解放されている私です。

その日、希望者の保護者数人で、日頃は、あるのかないのさえ意識していないすみっこの建物に入っていきました。

私も幼い時の給食室の記憶があります。暑い夏の日だったのか、給食室の窓はあいていて、中で、作業する”おばちゃん”(子どもはみんな給食のおばちゃんと呼んでいました。)が、大きなオールのようなしゃもじで、でっかい鍋をかき回していたのを、うっすら覚えています。

しかし、いざ、入ってみると、そこは、昔の給食室とは別世界でした。入り口ではエプロンに着替え、なんと、エアーシャワーを全身にあびました。もちろん、入念な手洗いをして、頭には、不職布のキャップをかぶり、髪の毛を全部入れてしまうように指導されました。

ん? これはどこかで見た光景・・・・
そうか~。ICU,もしくは手術場ではないですか・・・・
私はほんとにビックリしました。まさに、ICUか手術場! 消毒の考え方、滅菌の考え方・・・私たち医療人は、まずそのあたりから、徹底的に指導されるわけですが、まさか、学校給食の現場で、それとほぼそっくりのシステムが作動しているなんて・・・

中に入ってまたびっくり。

土がついた野菜、洗う前の魚、などなど、そういうものは、できあがった料理を汚染させるリスクがある、というので、調理の流れは、常に一方通行の動線です。さらに、その動線を、デザインするところから、調理計画が始まるそうです。

栄養士さんは、メニューを作ることが仕事、くらいに思っていたけれど、とんでもない。メニューを作ったあと、一つ一つの素材の動線を、きっちり計画表に色分けして書き込むという仕事も大切な仕事です。

おおむね、作業全般が終わったころに見学したので、給食室内は、さしずめ、きれいに整理された工場を見るようでした。ぴかぴかのステンレス。ぴかぴかの室内。味気ないくらい、殺風景です。

我が家で、夕食を作るときはどうでしょ。台所はてんやわんや。食事が終われば、相当雑然としています。もう、ほんと別世界です。さらに、昔の記憶の給食室からも、かなりかけ離れています。

こうやって、子ども達の食が守られているんだな~。感謝の涙さえあふれてくるようでした。一度、チャンスがあったらみなさんも見学おすすめします。


# by urakawasika | 2018-10-05 16:27 | 社会 | Comments(0)